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【インタビュー記事20】俳優ブロガー「小野哲平」。決して儚い人生ではない、激動のものがたり

演劇の世界に憧れ、歌舞伎役者の付き人を経て俳優になるチャンスを摑み取った小野哲平さん。

 

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現在あの有名な太田プロダクションに所属している俳優さんです。

 

 

彼が今日ここまでくるのには、たくさんの「経験」がありました。

決して平坦な道ではなかったその過去から、今日までの話を聞かせていただきましたよ。

 

未経験者が歌舞伎役者の付き人になる

神奈川県横浜市で生まれ育った小野さんは、中学時代から「演劇」というものに興味を抱いていました。

 

中学校の部活で演劇部に入ろう、と思いきや、その前に仮入部で体験した剣道部の面白さに惹かれ、そのまま演劇に触れることなく高校卒業まで剣道部で過ごしました。

 

しかし「高校を卒業したら演劇を始めるぞ」という灯火は消えることなく、満を持して大学から演劇サークルに入り、芝居を始めます。

 

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そんな大学時代を過ごしていたある日…21歳の時でした。

就職活動真っ最中の小野さんのもとに、面白いお誘いがありました。

 

 

橋之助さんが若い付き人を探している。2〜3年勉強してプロの俳優にならないか?」

 

橋之助さんとは、歌舞伎役者 中村芝翫(当時橋之助)さんのこと。

知り合いの劇団の座長が歌舞伎役者さんと知り合いで、そのツテで舞い込んできた話でした。

 

 

もともと「俳優になりたい」という気持ちが心の奥にずっとあったからこそ、小野さんは就職活動を全てやめて、歌舞伎の世界に飛び込むことを決意。

 

 

とは言え、すぐに決断できたわけではありません。

 

このまま就職するか、先の見えない未来に飛び込むべきなのか。

後者を選ぶとなると、それはとても覚悟が必要なことでした。

 

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小野さんは悩みました。

 

するとそんな様子に気づいたのか、当時アルバイトをしていた店長から「どうした?」と気にかけてもらえ、思い切って相談してみることに。

 

 

すると、話を聞いた店長はこう言い放ちました。

 

「それは望む人全員にチャンスが来るわけじゃない。哲平よりもやりたい人がいるかもしれない。でも今そのチャンスは哲平のところに来たんだよ」

 

 

この言葉は小野さんの胸に強く刺さりました。

そしてようやく付き人になる決心をしたのです。

 

 

もちろん、付き人になったところでプロの役者になれるわけではありません。

「ただ、何かの活路は見出せるかも」小野さんはそう未来を見据え、伝統芸能という世界へ、一歩足を踏み入れました。

 

 

 伝統の世界で積んだ経験

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それまでアルバイトしかしたことのない学生が、いきなり伝統ある世界に入るということは想像以上に戸惑うことばかり。

 

しかも前任の付き人の方はすでに退職されていて、引き継ぎというものがなく、混乱と怒濤の日々でした。

 

なにせ今まで歌舞伎を見たこともない程の未知の世界。

何がなんだか分からないまま仕事が始まっていくばかり。

 

 

「とにかく全部自己流でやりました。すごく理不尽なことばかりで辛かったけど『ここで頑張るしかない』と思ってやっていましたね」

 

 

毎日必死で働きました。自由な時間なんてなかったと言います。そうして少しずつ自分なりの手法を見つけていったのです。

 

 

そもそも、付き人のお仕事って具体的にはどんなことをするのでしょうか?

 

「付き人は、旦那(※歌舞伎界では自分のご主人様のことをこう呼びます)が楽屋入りする前に入って、帰られたら自分も帰ります。中には運転する付き人もいますが、ぼくは運転が苦手だったのでやりませんでした(笑)」と話してくれましたが、よく勘違いされているのが「付き人」と「お弟子さん」の違い。

 

 

お弟子さんは歌舞伎役者なので男性しかおらず、自身も役者として舞台に立ち、年月と共に芸を磨きます。

 

一方で付き人は、実は女性社会なんだとか。その8割近くが女性。歌舞伎界で付き人は「下積み」ではなく立派な「職業」として確立しています。

 

付き人という職業を3年勤めた小野さん。

もともと「俳優になる」という夢のもと、一時の経験を積むために、最初から「3年で辞める」というのを決めていました。

 

 

「今ではあの時いたあの場所が、ひとつの故郷のような感覚を持っていますが、歌舞伎座の楽屋に挨拶に行くときは未だに緊張しますね。伝統芸能の重みを知って一層緊張感が増しました(笑)」

 

 

あの日アルバイト先の店長が言ったように、誰しもの前に落ちてくるチャンスでは決してないかったこと。それを経験できたこと、そして歌舞伎界との繋がりを得たことは、小野さんの人生にとって、とても良いスパイスになったのではないでしょうか。 

 

 厳しいオーディションを抜けた先には

付き人を辞め、またゼロからのスタートを迎えた小野さんはアルバイトを探しつつ役者になる道も同時に模索。

 

 

その時見つけた「北区つかこうへい劇団」のオーディション。

 

つかこうへいさんとは、日本の劇作家であり、演劇史を語るうえで外せない人物。

 

「名前を挙げたらきりがないですが、たくさんの著名な俳優さんが、つかさんに影響を受けています」と小野さん。

 

 

小野さんがオーディションを受けたその年は、300人程が臨み、そこから40人が研修生として10カ月週5日のレッスンを受け、最終的に劇団員になれるというなんとも厳しく、長い道のり。

 

 

しかし小野さんはここで研究生として受かることができました。

 

 

 「僕の期は僕を始め7人が劇団員になりました。受かったときは『ようやく始まる』と思いましたね」

 

それまで付き人として「人の俳優生活」の手助けをしていたのが、ようやく「自分自身の俳優生活」が始まったのです。

 

 

また一歩大きく駒を進めた……そんな時につかこうへいさんが亡くなりました。

 

 

その1年後には劇団は解散。

小野さんは4カ月だけの劇団員でした。

 

 

その後劇団員有志が立ち上がり、新たな劇団を立ち上げることになったのですが、小野さんはその話を断り、またひとりで新たな道を探し始めます。

 

 

それからアルバイトをしつつ、時折舞台に出る生活が何年か続きました。

 

 

 

そして再び、チャンスが巡ってきます。

 

大手芸能事務所の太田プロが毎年俳優のオーディションをやっているということを知り、思い切って受けてみることに。

 

 

オーディション会場に行くと、まわりは10代や20代前半の人ばかり。

その時小野さんはすでに28歳。

 

まわりと比べると決して若くはないとされる年令でした。

 

 

「それでも僕の演技を見て、事務所が合格を出してくれて、そのまま所属に至りました。合格の電話は今でもよく覚えています。…夢のようでした」

 

 

まるでその時の情景を昨日のことのように思い出すかのように、言葉をひとつひとつ噛み締めながら、その時のことを話してくれました。

 

 

「アルバイト先で、いつものように休憩時間にスマホを見たら何度も同じ番号から着信が入っていました。留守電を聞いてみると『太田プロの○○です。○月○日にドラマの仕事がありますがスケジュールはどうでしょう?』と録音されていました。もう喜びと驚きで言葉になりませんでした。事務所所属だけでなく、ドラマの仕事まで!!」

 

 

まさに大興奮してしまう出来事。 

 

10代の頃から俳優を目指し「どうやったらドラマ出られるんだ!」と何年も何年も苦渋を味わっていたのに、こんな簡単に出れることになるとは夢にも思っていなかったこと。

 

 

「死ぬ程恋い焦がれていたドラマにあっけなく出られたんです。大手ってすごいなって思いました(笑)」

 

 

再び摑み取ったチャンス。

 

初めてのドラマは、2時間ドラマの区役所職員の役。主人公が調査に来る役所で対応する職員役となり、2シーンの出演を果たします。

 

 

人生初のドラマ撮影の現場は、やはり今でも心に残っているようです。

 

「撮影初日『○○役の○○さんです!』ってスタッフに紹介されてその場にいる全員から拍手される呼び込みというものがあるんですが、付き人時代に何回もそれを見ているんですよね。それで自分がドラマ決まって『○○役の小野哲平さんです!』って言われて拍手された時はそりゃもう泣きそうでしたよ」

 

役者始めてから10年以上かかって、ようやく手にしたチャンスでした。

 

 

役者だってスポーツ選手と同じ

 

太田プロに入ったのは2014年ですが、それ以前に僕は、自分で役者の団体を持っていたんですね。週に1度集まって僕を中心に稽古する団体です」

 

 

舞台を手がけるのではなく、ただただ演劇の稽古をする団体。

 

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なぜ、稽古だけ?

舞台はつくらなかったのでしょうか、とそんな素朴な疑問をぶつけてみました。

 

「そこで舞台を手がけることは選択肢になかったんです。なぜなら舞台ってやればやるほど赤字なので」

 

 

さらに言葉を続けます。

「かつてお世話になった演技トレーナーに教わったのですが、スポーツ選手って毎日練習してるじゃないですか。どれだけ一流になっても毎日訓練してるんですよ。俳優も同じです。一流俳優が毎日現場で芝居して成長しているのに、ぼくら売れてない俳優が努力を怠ったらどんどん差がつく一方だと。だから自分たちで施設を借りて稽古を始めたんです」

 

 

ひたすら稽古に勤しむ日々。

しかし、2017年にその沈黙を破りました。

 

 

そう、ひとつの舞台を創り上げたのです。

 

舞台の名前は「儚人〜はかなびと〜」

 

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小野さんが魂を込めるかのごとく書き上げたその脚本をもとに舞台は大盛況。

 

 

「儚人は2017年の作品ですが、今でも見た方に会うと絶賛される作品です」

 

これまであまり小野さんの俳優業に良い言葉をかけてくれたことがなかったお父様も、この時ばかりは「お前の本は面白かった」と言ってくれたそう。

 

きっとそれは、紛れも無い本心だったことでしょう。

 

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こうして現在、小野さんは本格的に映像脚本を学び始めたところ。

 

「今は事務所の紹介でスクールに通っています。連ドラの企画書を考えたりして毎日忙しいです。舞台はまた年1で続けたいと思っているので、今年も11月から12月ですね。あくまでも予定ですが」と、また力強く未来を見据えている様子。

 

自身をもっと知ってもらうために俳優ブロガーへ

 

小野さんがブログを新設して「俳優ブロガー」を名乗ったのは昨年の11月から。

 

「これは結構な覚悟でした」と話しますが、その理由についてこう語ります。

 

 

「公に『ブロガー』を名乗るともう後戻りできないと思いました。もちろん事務所に相談なんかしてないし、自分で考えて決断しましたが、ブロガーとしてのブログをオープンさせるときは何度か考えましたね」

 

本名でやっていること、顔も出していること。

歌舞伎ファンの方は、小野さんを知っている人もいます。

 

始めてしまったら、もう簡単にはやめられない。

 

「そういう意味で、自ら退路を断ったんです。前進あるのみですよ」

 

そんな話を聞いて思わず「常に夢を追い求めている姿がかっこいいですね」なんて声を漏らすと「そんなことないですよ!ただの迷い人です(笑)」と笑いながら謙遜。

 

 

そんな小野さんが今、多くの人に伝えたいこととは?

 

「舞台でも脚本でもブログでも、僕が面白いと思うものが世に広がれば嬉しい。役者の活動も続けますし、肩書きは絞りません。肩書きは『小野哲平』です。個のブランドの確立。ぼくが書いたものに価値がある、というレベルまでもっていければと思います」

 

小野哲平

 

この記事を読んで初めて彼の存在を知った人もいるかもしれません。

 

夢を掴むために、諦めることなく今日までを生きてきた小野さん。

 

曲がりくねった道だったかもしれない、デコボコのある道だったかもしれない。

 

それでも、誰もが経験できるわけではない道を歩んできた「小野哲平」ブランドは間違いなく誰かの心を揺さぶることができる…そんな気がしてならないのでした。

 

どんなカタチであれ、今日も小野さん自身が描いていた夢と共に歩み続けています。

 

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小野哲平さんのツイッター

https://twitter.com/yen_town1014

ブログ

http://onoteppei.com/

 

※小野さんの著書(「儚人〜はかなびと〜」の上演台本)が電子書籍で販売しているので要チェックです!また、小野さん筆頭の団体「トムランド」が最近Youtubeにも進出中です!