暮らしと旅と、私の記録。

旅行に行った場所とか、家のことについてなどなど。道産子サラリーウーマンがお届けする素晴らしき日常

【インタビュー記事40】東京OLが、今の時代を生きること

今回お話を聞くのは、筆者と同い年…1991年生まれのめいみさん。

関東生まれで今もなお、東京で生活するキラキラ輝くOLさん。

 

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大学を卒業後、内勤OLとして働く傍ら、1年ほど前からブログをスタートさせたそう。東京OLの日常を描きながら、次第にアフィリエイト広告を通じてお小遣い稼ぎができるようになっていったと言います。

 

 

今やこうしてブログで生きる人も多い中、めいみさんも「本業で、フリーとしてやっていけるのでは?」と考え始めたのです。

 

そこでこれまで無料ブログだったものから、ワードプレスを新たに開設。

このままの勢いあるスピード感でブログ業を進めていくのかな…?と思いきや、めいみさんは慎重に立ち止まります。

 

 

「フリーになるにはスペシャリストではなくジェネラリストになる必要があることに気付いたんです。そこで今はライターさんたちにお任せし、ちょっとしたコンサルをしながらビジネス全般の勉強をしています」

 

スペシャリストは専門的な知識に特化した人のことを指すのに対し、ジェネラリストは、ビジネスにおける広範囲の知識や技術、経験を有する人のことを言います。つまり、幅広い知識を持つ人にならなくてはいけない、めいみさんはそう考えたのです。

 

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それには理由が。

「ブログを始めたきっかけは暇つぶしとお小遣い稼ぎが目的でした。 私はまだまだですが、実際に利益を上げている方々の話を聞いて、私にもできる!という確信に繋がったんですよね。ただ、それと同時に特定のビジネスのノウハウだけを学んで、稼げなくなったときに路頭に迷ってしまった人をたくさん見てきました」

 

だからこそ、フリーになる上で幅広い知識を持つことが大事だと思ったと話すめいみさん。挑戦心を忘れずに、しかし慎重に、計画的に考えているその姿勢を見ると、これを欠けている人が実は世の中には多いのではないかなぁと思わせてくれました。

 

「広く深く知識があることに越したことはないですが、まずは広く浅く。 詳細はスペシャリストに聞けば良いと思います!」

 

 

内勤OLをしながらの生活

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現在の会社は、副業が許されているためジェネラリストになるべくコンサル等のお仕事や、勉強をスタート。うまく両立は出来ているのか聞いてみると「確かにがっつり残業の日は疲れて何もできなかったりします(笑)」とにこり。

 

「でもその分仕事が休みの日もカフェで勉強します。 趣味みたいになっていますね」

 

こう話を聞くと、行動力のある方だなぁと思うのですが謙遜気味のめいみさんです。

 

 

「かつて留学したいと思った時期もありましたが、本格的に行動に移したことはありませんでした。行くなら最低1年は行きたいと思っていたのですが、早く社会人になって自立したい気持ちもあったので、行動には移せなかったです」

 

 だからこその過去が今、やりたいことを目指し頑張れる原動力になっているのかもしれませんね。

 

 

 まわりの人に感謝、だからこそ今度は自分が

 

内勤OLとして、仕事で大変だったお話も聞かせてくださいました。

社会人2年目の時に、あるプロジェクトの仕事をすることになって、なかなか上手くいかなくて、幹部からのプレッシャーもあり過敏性腸症候群になったこともありました…」 

 

 

さらには社会人2年目にして、リーダー補佐のポジションが与えられ、責任とまわりからのプレッシャーは当時のめいみさんを苦しめました。

「自分はまだまだ未熟なんだと思い知らされましたね…」と振り返りますが、最終的にはこのプロジェクトも結果的に成功。

同時に、まわりの人たちの支えがあったからこその成功なのだと、感謝の気持ちも芽生えたそう。

 

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何かあった時に常に支えてくれる人がいたので、人間関係には恵まれたなぁと思います」

 

だからこそ、今副業として、そして最終的にはフリーランスとして動き出そうとしていることについては「今後も人と関わることができる仕事がしたい、人の役に立てるようなことをしていきたい」とめいみさんはその夢を語ります。

 

「人々の生活をより良くして、稼がせてあげたいですね!」

まだその夢は漠然としている様子でしたが、これまでの社会人としての経験含め、めいみさんの過去を活かしたビジネスを何やらやってのけてくれるのではないでしょうか。

 

 

めいみさんのようなOLだって、学生だって、今や自由にお金を稼げるような時代になった今、彼女はしっかりと未来と、それに向かって歩んでいく自分の道のりをしっかりと見つめているようです。

 

 

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【インタビュー記事39】吃音症と共に生き、前を向いて歩いてきた青年が伝えたいこと

本日ご紹介するのは大阪出身で、大学から単身北海道へ渡ったけんごさん。

 

これまで北海道との縁といえば、高校の修学旅行で訪れたことくらいだったと言いますが、もともと動物が好きだったけんごさんは、その道を学ぶべく北海道の大学を選んだのでした。

 

いざ北海道に住み始めてみると、そこで生活する人々に惚れ込んでいったそう。大阪から移住してきたけんごさんにとって、北海道で暮らす人たちは「のほほんとした雰囲気」と表現していました。

 

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しかしもちろん冬の生活は大変。

とは言え移住してきた1年目の冬は、降りしきる雪を見て思わずはしゃいでしまったそう。そんな姿を生粋の道産子の友人たちからは面白がられたくらいなんだとか。

 

 

こうして4年間北海道の大学で学びたかったことを学び、大学を卒業。

その後、地元に戻るわけでもなくそのまま北海道に定住を果たしました。

 

 

幼い頃から抱えていた大きすぎる悩み

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さて、けんごさんにはずっと昔から抱えていることがありました。

それは「吃音症」ということ。

 

これは、言葉を発しようとした時に思うように言葉が出てこなかったり、連続して同じ言葉を言ってしまうなどの症状が見られます。

 

 

そんな自分の、まわりとは違う症状に気がついたのは小学生の頃。

 

言葉を連発してしまう時が続き「なんで自分だけ…」と自分を責めることもあったそう。

 

 

そんな小学校1年生のある日、先生に紹介されて参加した「吃音サマーキャンプ」。

 

これは、吃音の悩みについて語り合い、また、吃音症の人々が一緒に演劇に挑戦してみるというものでした。

 

 

今までは「自分だけ」が吃音で、うまく話せない時間を過ごしてばかりいたけれど、この日ばかりは「みんなが」自分と同じだったのです。

 

 

それは彼に勇気を与えました。

 

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「ここに参加していた人はみんな年齢もバラバラだったんですが、吃音症でも働いている人はたくさんいるんだってことを知りました」

 

こうして、「吃音症を治そう」を思うのではなく「吃音症と共にうまく生きよう」と考えを変えることができたのです。

 

「吃音症だから、逆に覚えてもらうこともある。それで名前を覚えてもらえたらプラスかなと思うくらいです」と今では本当に前向きに吃音症と生きているのがわかります。

 

この時のサマーキャンプは間違いなく、彼にとてつもない衝撃と良い経験をさせてくれたのでした。

 

 

吃音症と共に生きること

 

それからというものの、けんごさんは野球部に入り大活躍。

ただ、やはりここでも吃音の壁にはぶつかりました。

 

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「中学の時のクラブチームは、試合の前に必ず選手の審査ということで自分の名前と生年月日を言わなきゃいけなかったんです。簡単なことなんですが、自分は名前が言えないんです。出てこないんですよね」

 

 

そんな時も支えてくれたのはまわりでした。

 

監督が「背番号26番の子は…」と事情を説明し、審査の前に必ずサポートしてくれました。野球部の仲間たちにも、バカにしてくる人はいませんでした。

 

 

まわりに支えられた野球人生は、高校、大学と続き、大学ではキャプテンを任されるほどに。

 

順風満帆?と思われるかもしれませんが、キャプテンになっても追いかけてくる吃音の悩み。

 

 

「キャプテンが『ありがとうございました!』って言って、それにみんな後に続くんですけど、これも難しくて。この時、まわりに吃音だってことは隠しているわけではないけれど、変に気を使われるのも嫌だなって思っていたんです」

 

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そう、大学の野球部メンバーには、吃音だということは誰にも伝えていなかったのです。それでもなんとかうまく乗り切ってきたからこそ、キャプテンという責任のあるポジションも任されたのだと思いますが、その反面「これは素の自分ではない」とモヤモヤの闇が心を覆うこともありました。

 

 

野球の現場だけではありません。

大学を卒業後、けんごさんは一般企業へと就職し、現在新入社員として日々社会人としての仕事を覚えていっているところ。

 

しかしそこで壁となるのは、新人研修の場です。

 

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「電話対応や、名刺交換、決まった行動がどうしても苦手なんです」と苦労をしている様子。 

 

隠しているわけではないけれど、無理はしてはいけない。

けんごさんは、先輩に自分が吃音症であるということを打ち明けたそうです。

 

 

社会人としての生活は始まったばかりですが、けんごさんは「吃音だけど、働けるんだよってことをアピールしたい」と話します。

 

それはかつで、小学校1年生の時にけんごさんが勇気をもらったときのように、今度は自分が誰かの勇気を与える立場に立ちたいという熱い想いから。

 

 

同じ悩みを抱えている人たちへ

 

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だからこそ、けんごさんは今同じ悩みの人へ伝えたいことがある。

 

「吃音症の本人からしたら『打ち明けたらどう見られるんだろう』って不安があると思うんです」

 

けんごさんは自分の体験談を元にこう話します。

 

「まだまわりに隠している時に、うまく言葉が出てこなくて自分の中では 20秒くらい止まってしまったかなって思うことがあるんです。でも、まわりからしたらそんなに時間は経っていないようなんですね。卒論発表の時なんて緊張しまくりで、きっと止まっていた時間も多かったと思うんですが、終わったあとに友達に『どうだった?』って恐る恐る聞いてみたら『間があって聞きやすかったよ』って言ってくれました」

 

自分が思っているほど、自分が気にしているほど、案外まわりはそこまで気にしていないもの。

 

けんごさんは「まわりが察してあげる環境も必要」と言葉を続けます。

それはやはり、自分から打ち明ける怖さを知っているからこそ。

 

 

 

今でこそよく聞くようになった「吃音症」

しかしその実態を理解している人たちはきっとまだまだ少ないことでしょう。

 

 

話している人の声に耳を傾ける。

真剣に話を聞いてあげる。

 

 

当たり前のことが、悩んでいる誰かの心を救ってくれるのかもしれない。

 

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もし今、かつてのけんごさんと同じように悩みを抱えている人がいるのなら、少し安心してほしい。こうして吃音症と共に、一緒に生きていこうとしている人がいる背中を見て。

 

 

誰もがコンプレックスはあるものです。それは他人には理解できないことだったりもします。だからこそ、ハンデはハンデではないのかもしれません。

 

 

これからも、同じ悩みを持つ人たちのためにと日々成長し続けるけんごさんはこれからも前を向いて走りつづけていくことでしょう。

 

 

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【インタビュー記事38】「感謝」の気持ち溢れ、挑戦することを止めない野球青年

ご両親の野球好きの影響で、なんと年長さんの時から野球を始めたという三輪智輝さん。

 

両親の勧めで始めた野球は、最初の頃こそは嫌だと思う日があったけれど、小学校に入った頃からは野球の楽しさを知っていったそう。

 

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それから今日までの日々、辞めたいと思ったことはなかったのだとか。

 

「他のスポーツも好きなんですが、どうしても心の中心にあるのは野球でしたね。その理由は、自分でも分からないんです(笑)」とはにかみます。

 

さあ、そんな三輪さんが野球で挑戦してきた数々についてご紹介させてください。

 

 

選手兼トレーナーとして活躍中の大学生

 

現在三輪さんは広島の大学に通う3回生。トレーナーを目指しこの大学へ入学し、野球部にも所属しています。

 

その野球部で選手として活躍する傍ら、トレーナーとしても活動を始めたところ。

 

 

ピッチャーをやっている三輪さんは、度々怪我に見舞われることもありました。

リハビリを繰り返し、そこで得た情報をどうしても怪我という現場と隣り合わせの部活内でも共有したいとトレーナーとしての活動を始めたと言います。

 

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そんな日々を過ごす中、ある時メジャーで活躍するトレーナーさんのセミナーが大阪で行われるということで、広島から飛び出し参加。

 

このセミナーに参加すると、なんとメジャーリーグの現場に行ってトレーナー研修を体験できる権利をゲットできるチャンスがあったのだとか。そこから絞られ、最終的に5名が選出されるとのことですが…

 

三輪さんは知人が推薦してくれたこともあって、見事その切符を手に入れます。

 

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アメリカには1週間ほど滞在したのですが、メジャーのトレーナー技術はもちろんのこと、アメリカの文化に触れて、将来的にアメリカに行くという選択肢も自分の中に増えました」

 

今まで考えたことなかったアメリカ進出という将来のカードが、三輪さんの手の中に舞い込んできたのです。

 

 

また、ここで得たことを自分のものだけにしないのが、三輪さん流。

 

「報告会」という形で、学んだ知識を同じ夢見る人々に伝える場を5月に計画中です。

それも、ただ報告するだけではなくテーマのひとつ「海外」を挙げ、トレーナー以外で海外で活躍している方もお招きし、お話していただくというもの。

 

トレーナーだけ集まるのではなく、学生問わず、多くの方が交流できる場をつくろうと取材当時準備に勤しむ三輪さんでした。

 

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「正直、大阪とか関西圏はこうしたトレーナーの集まりとかイベントが盛んなんですが、広島ってあんまりこういう動きがないんですよね。こうしたことを広島で開催することによって、少しでもこのまちが盛り上がってくれたら嬉しい」とその胸の内も話してくれました。

 

 

トレーナーになるべく入ったこの大学。

三輪さんの夢は「プロ野球のトレーナー」になること。

 

それって狭き門なのでは?と聞いてみると、「確かに簡単になれるものではないですが、『不可能』とは言わないようにしているんです」と力強い返答が。

 

そこからも、これまで夢や目標に対し真剣に向き合ってきた三輪さんの姿勢が伝わってきます。

 

 

クラウドファンディングへの挑戦、そして達成。 

実は三輪さん、先日クラウドファンディングを見事目標達成したばかり。

 

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一体どんな企画内容なのか聞いてみました。

 

「例えば今回のメジャーリーグに行ったことも、お金をかけて行ったことによって、色んな人が『知りたい』と思っていることを吸収することができました。だから、その学びをみんなに共有し、それを実践に移せる人を増やし、そうしたサイクルをつくりたい、そんな想いからはじめた企画なんです」

 

 

三輪さんのこの想いは、決して生半可なものではなく、非常に熱いものでした。

 

しかし、この企画を行うにあたり、大人の方々からお怒りの声をもらったり、指導が入ったことも…。

 

目標金額にも達成できなさそう…そう思うこともありました。クラウドファンディングの期間中はまさに、生きた心地がしなかったのではないでしょうか。

 

三輪さん自身も「後半は荒れました(笑)」と振り返っては苦笑い。

 

 

目標金額は30万円。

この数字を設定した理由をこう語ります。

 

「20万だったら、今の僕の繋がりだけで簡単に行ってしまうような気がしたんです。だから、行けるか?行けないか?というラインの数字を考え、30万にしました。自分の価値を、世間の人はどう見ているのかっていうのをこの目で見てみたかったんです」

 

三輪さんは言葉を続けます。 

 

 

「世間の人が自分に対してどれくらい期待してくれているのか、そういったものが分かるだけで、成功でも失敗でも、価値がある経験になると思いました」

 

とは言え、実際に目標金額を達成!

今は感謝の気持ちで溢れている三輪さんです。

 

「本当たくさんの人に支えられているのを実感しました。感謝の気持ちを込めて、たくさんの人にこれからリターンをしていかなきゃって思っています」

 

取材中、「感謝」という言葉を何度も言っていた三輪さん。

今回のクラウドファンディングに関わらず、関わってくれている人たち、まわりの人たちに対しての感謝が、言葉の端々から強く伝わってくるようでした。

 

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「人って『give』を与えてくれる人に付いていきたいって思うと思うんです。だから僕も、偉そうにしたりせずに、giveをしながら後輩たちを引っ張っていくような人になりたい。そこに、トレーナーとしての価値もあると思います」

 

そう「なりたい人物像」を語る三輪さんの声は とても力強いものでした。

 

目の前のこと、そして+α

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まだ大学3回生の三輪さん。

 

卒業までも時間がありますが、卒業後の道は決めているのですか?と聞いてみると…

なんだかやりたいことが溢れている様子。

 

「大学院にも行きたいなって気持ちもります。でもまずは、今年の秋まで続く選手としての時間を大切に、やりきりたいです!トレーナーとして大切なことのひとつとしても、自分が出来てなんぼだと思うんです」

 

そして、大学の勉強の方もしっかり手を抜かないようにと考えています。

 

 

「これから始まっていく実習もしっかりこなしていかなきゃいけないって思っています。目の前にあることをしっかりと、そして+αな方も頑張っていきます」

 

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やりたいこと、興味のあることが溢れ、そしてそれに向かって計画的に考えている三輪さんの挑戦はまだまだこれからも続くようです。

 

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三輪 智輝⚾️ (@tomomiwatomozou) | Twitter

【インタビュー記事37】自分の経験を「誰かのために」役立ててほしい

本日ご紹介するのはゆいまーるさん。

 

現在は個人事業主として働かれていますが、これまで多くの経験をされてきた方です。

 

「病気、離婚、肉親の死別、実は色々体験しているんです」と語るゆいまーるさんにとって、今したいことは「誰かを支え、支援する」こと。

 

そんなゆいまーるさんの今日までについて迫ります。

 

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ITが発達する駆け出しの時、システム会社に入社

 

大学では商学部の貿易学科に入りインドネシア語やマレーシア語などを学び、将来的に海外と取引するような仕事に就きたいと考えていたゆいまーるさん。

 

そう思うようになったきっかけは、小学校4年生の時に訪れた大阪万国博覧会でのこと。

千葉県に住んでいたゆいまーるさんは、お父様に連れて行ってもらい、ここで多くの世界の文化を目の当たりにしました。

 

特に目を惹いたのは、インドネシアの文化。これを見た時に、言葉には言い表せない『何か』感じるものがあったと言います。

 

 

その後就職するタイミングでフィリピンの情勢が不安定だったことから親や親戚から東南アジアと関わり、働くということについて反対されてしまいます。

 

そしてゆいまーるさんは、もう一つ興味のあった、システム系の会社へと入社。

 

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この時ちょうどバブルの時期。

仕事は山ほどありました。

 

「だからこそ今でいうブラック企業のごとく、朝から晩まで働いていました」

 

気づけば他のことを考える余裕もないまま、いきなり前線に立ち仕事と向き合い続けていたのです。

 

そんな日々を過ごし、2年が過ぎた頃。

 

ある大きなプロジェクトが終わったあと、燃え尽きたこともあったのか、ゆいまーるさんはついに体を壊してしまいました。

 

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このままではいけないと、そこから転職を果たし某大手出版社のIT関係の会社に就職。

 

学生時代に一度夢見た海外との仕事…例えば貿易関係の仕事も一瞬考えたそうですが、中途採用での募集を探すのは至難の業でした。

 

転職をいくつか重ね、独立の道を選択

 

しかしその後もゆいまーるさんは転職を重ねます。

 

「英語が少しできたので外資系の会社に転職したんです。やっぱり英語が使える外資系の仕事がしたかったんですね」

 

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と思いきや、またまた転職。

ここが最後の会社となるのですが、とある機械メーカーに入社しました。

 

主にお金に関するシステムをつくるところで、銀行などが取引先だったのだとか。 ここで10年程働きました。

 

長年勤めた会社ではありますが、今やゆいまーるさんは個人事業主として働いています。

 

会社員として働くのを辞めようと思ったきっかけは何かあるのでしょうか?

 

「当時は秋葉原の事務所に勤務していたものの、本社にある兵庫の姫路市への転勤が命じられたんですね。姫路には移り住みましたが、ちょうどその頃、両親の体調も悪くなってきて、毎月実家のある千葉に帰るのも大変になってきました。そこで、転勤のお願いを長年出していたんですが、なかなか叶えられなかったので辞めますと決めたんです」

 

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家族のために、と決断を下したゆいまーるさん。

 

そこで再び「転職」という道を選ばずに「独立」という道を選んだのは、昔からどこか心の奥底にあった野望からでした。

 

 

「いずれは独立したいと考えていて、メルマガを構築したり、ブログをつくったりと下準備はしていました。メルマガ構築ノウハウとか、ブログをつくったり、LPページのご提案をしてなんとかならないかなって思って」

 

そんな準備を重ねていたものの、ゆいまーるさんは「非常に安易に起業してしまった」と当時を振り返ります。

 

 

「 2017年10月に独立したんですが、1年近くは収入ゼロの状態でした」と苦笑い。それでも諦めず、コツコツと成果を伸ばし2018年の暮れ頃からは少しずつ収益が出てくるようになりました。

 

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コンサルティングで収益をあげる

 

現在の業務内容としては主に コンサルティングをメインでしているそう。

 

「例えば、子育てを一段落させた女性の方。ご自身でビジネスをやりたいという希望は持っているけれど、なかなか叶えられずにいるっていう方の希望を叶えるためのコーチングです。どうやって商品化していくか、コンテンツの作り方などを教えていくことによってのコンサルティング料をもらえるまでとなりました」

 

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Facebook等で集客して、今では無料相談も含めて240名以上の方々を見てきたそう。その中には実際に独立成功したという声もあり、それがまたゆいまーるさんのやりがいに繋がっているのではないでしょうか。

 

「結果が出て、『お仕事いただきました!』とか、『セミナーを開催するまでに至りました!』とかそういった方もいらっしゃいます。あとは出版のコンサルもしているのですが、amazon電子書籍のランキングで毎回1位を取れるようになるまでになった人もいるんです」

 

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そういったノウハウ、特に出版についてもコンサルできるとは、一体どこからその知識を得ているのか少し気になって聞いてみると、答えはゆいまーるさんの過去にありました。

 

 

「以前出版社のIT系の仕事をしていた時に、編集部や販売部のヒアリングをたくさんした。本をつくるときの流れとか、現場の困りごととかを聞いて知っていたんですね」

 

そう、これまで様々な企業を渡り歩いて来たからこそ得てきた知識とノウハウ。今までの経験が活かされているのです。

 

 

「最近では、Twitterから本を出している人もいますね。 インフルエンサーと呼ばれるような人になった人が出版される人が多いのを知り、その実態を研究してみようとTwitterも始めました」

 

この通り、ゆいまーるさんはなんでも挑戦してみるというチャレンジングな方。

こうして自身のTwitterを2019年の1月18日から始めたそうですが、取材した4月の現在ですでにフォロワーは2,500名以上。

 

その行動力からの結果にも驚きです。

 

 

誰かのために、そんな想いで始めたいこと 

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まだまだゆいまーるさんには計画中のことがたくさん。

そのひとつが、「沖縄で女性と子供のためのNPOを運営する」こと。

 

なぜ沖縄なの?と気になって聞いてみるとその想いをお話してくださいました。

 

 

 「沖縄という場所は、日本で一番貧困が進んでおり、シングルマザーが多いんです。だからまずは沖縄からのろしをあげていこうと思いました」

 

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実際に月に1回は沖縄を訪れ、那覇の市役所に自ら赴いては取材もしているそう。こうして取材、調査をしていくうちに、貧困や家庭内暴力は代々連鎖していくということが見えてきました。

 

そこで思いついたのは

「子供を育てる親の意識を変えなくてはいけない」

 

ゆいまーるさんが今やりたいこと、やろうとしていることは「子供向けイベントと称して、家族で招待して、親御さん向けに啓蒙する何かを実行したい」ということ。

 

来年には1万人の大規模イベントを開催したいと計画中です。

 

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他にもまだまだやりたいことはたくさんあるゆいまーるさんですが、その根本にあるのは「とにかく人をサポートすることがしたい」ということ。

 

「ガンガン支援していきたいですね。自分が前に出ていくことよりも、支援することが好きなんです」 

 

冒頭でもお伝えしましたが、病気、離婚、肉親の死別…様々な経験をしてきたというゆいまーるさんだからこそ、辛い想いをしている人たちの解決はできないかもしれないけど、アドバイスだったり、寄り添うことはできるのです。

 

 そんな優しさと、そして行動力を推し量る原動力は一体何なのでしょう?

ゆいまーるさんはこの問いに関して「好奇心ですね」と即答しました。

 

 

「わからないものがあったら、徹底的に調べる!最近では、インフルエンサー20人ほどに直接会いに行きました。人と会うのすごく楽しいんですよね」とニコリ。

 

ゆいまーるさんのお話を聞いていて、何歳になってもチャレンジは出来るということ。そして、「経験」に勝るものはないということをひしひしと感じ取りました。

 

自分のこれまでの経験で、誰かの背中を押せること、誰かを応援し、支えることができること。経験した人にしかできないその行動は、なんて素敵なことなのだろうと思いました。

 

好奇心と行動力に満ちたゆいまーるさんは、これからも年令を感じさせないその漲る力で、多くの場所に訪れてはたくさんの人を支えてあげることでしょう。

 

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ゆいまーるさんのTwitterはこちら

ゆいまーる🌕感動を与える出版 (@ozzyiida) | Twitter

【インタビュー記事36】ローカルからパラレルキャリアで挑む

最近ではよく耳にするようになった「パラレルキャリア」。これは副業とはまた違い、「報酬を得ることを目的にしない」というのが根底にあるようです。

 

今日お話するのは、まさにパラレルキャリアで働かれている佐藤彰悟さん。佐藤さんが今しているお仕事といえば、メインでは札幌にてウェディング業界に所属し、はたまたある時は就活などで悩める学生たちの相談役を買って出たり、東京の会社でも人事顧問としての顔を持つなど、札幌と東京の二拠点で活躍されている方なのです。

 

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そんな佐藤さんがどうして今のようなキャリアになったのか。

新卒入社で入った会社はパチンコ屋さん。転職を果たして入った2社目は海産物を売るITベンチャー、そして現在がウエディング関係の会社…と、並べてみても分かる通り全くの異業種です。

 

まずはパチンコに興味がなかったというのに新卒でパチンコ屋に入社したというその奇行からお話をお聞きしました。

 

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就活をしていた頃の佐藤さんは、確固たる軸を掲げていました。それは「広告」と「マーケティング」に携わるということ。

 

「そのパチンコ屋が『やりたいことをやらせてやる』と話していたんです。社長はカリスマっぽい人だし潰れることはないだろうなぁとも思っていました。初任給も高いですし(笑)」

こうしてパチンコ屋さんに入社したわけですが、『やりたいことをやらせる』と言いつつも、最初の1年はパチンコ屋さんの店舗にてホールスタッフとして勤務でした。

 


その理由についてこう語ります。

「というのも最終面接で社長と面談をしていた時に『俺が良いと言うまで現場にいろ』って言われたんです。それを言われる前に僕は『広告やマーケティングがやりたい』って言ってるのにそう言われて思わず『僕の話聞いてます?』って強面の社長に言い返したんです(笑)」と笑いますが、そういった佐藤さんの発言や態度に対し「俺にそんな態度を取る奴はこの会社に誰もいない」と気に入られたそう。


社長があの時「まずは現場から」と言った本当の意味としては「現場を知らずして広告は作れない」ということでした。


だからこそ、佐藤さんには現場を知り、現場心理を学んだ上でやりたいという業務を担ってほしかったのです。

その後佐藤さんが現場にいたのは1年ほどだったと言いますが、実はその間にひとつ面白い行動を取っていたのも佐藤さんらしいのです…

 

「現場にいる1年の間に、毎月社長室に遊びに行っていたんです。理由としては、社長に忘れてほしくないから、ですかね」

なんとも策士。

 

こうして毎月のように遊びに行く日々を過ごした1年後に「そろそろ本社に」と戻してくれたそう。

そしてようやく広報やマーケティングを経験することが出来、さらには、採用に関わる業務から残業が多い不採算の部署のサポートをしたりと本社にて中心人物として活躍していきました。

佐藤さんが入社した当初は全社員80名くらいだったのが、採用に関わるようになってからのものの、気づけばその人数は800人になっていたそう。そういった実績と経験を積み重ね、あっという間に13年の月日が流れていました。

 

 

 

すると次第に、こんな想いが浮かんできたのです。


「この成功体験を他でも活かしてみたい」


思い入れのある会社なのは事実。しかし30才頃から「このままだとずっとここに骨をうずめることになるのでは?」と思い始め、そしてついに35才の時に転職を果たします。

 

次なるステージは海産物のIT系?


こうして転職を果たし入社した会社は冒頭からもお伝えしている通り海産物を販売するIT系のベンチャーでした。


人事と広報をメインでやって欲しい、ということで入社を決めたものの、ベンチャーということもあり人手も少なく、ある時にはイベントでウニを焼いては売ったり、飛び込みで法人営業をしたり…色々な業務が待ち受けていました。

 


「ウニって焼くのが難しいんですよ(笑)」なんて当時の話に笑いを加えながら話してくれました。

 

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そんなイベントずくしの毎日が続き、出張で東京や大阪の物産展に飛び、全然家に帰れない時期もあったそうです。

 

そんな生活を続けていると「30代半ばでこんな生活をしていても良いのだろうか?」そんな考えが佐藤さんの頭をよぎります。



そして、佐藤さんの働き方を見ていた知り合いの方から「うちの会社に来なよ」と声をかけてもらえたのが、現在所属しているウエディング系の会社です。


今はここで5年半程働いており、人事と広報の業務を任されています。

 

様々な顔を持つ佐藤さんの正体とは


こうして現在は札幌のウェディング会社をメインとして働かれていますが、忘れてはいけないのが「パラレルキャリア」としての顔です。

 

この今いる会社は北海道でもまだまだ珍しい複業を推進している会社でした。

 

 

そこで佐藤さんが思いついたのは、

「これまでの人事の経験の中から学生たちのサポートがしたい」ということ。

 

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「例えば、ポテンシャルはあるのにいざ就活となると、なんとなく大手企業に入ってしまうっていう学生さんなどもたくさん見てきて、もったいないなぁと思っていたんです」


人事を長くやっていた時から抱えていたモヤモヤ。

 

地域貢献としても、何かできないかと思い札幌で立ち上げたのが「就カフェ」というものでした。立ち上げからすでに4年経っています。

 

「就カフェは毎年50〜80人の就活生が所属するインカレサークルで、普段は全員グループLINEで繋がっています。毎月一回『定例カフェ』というイベントで全員が顔を合わせ、就活準備のセミナーを受けるほか、毎回色んな人の方をお招きし、メンバーに『しくじり先生』のような話をしてもらってリアルな体験談を共有してもらっているんです」

 

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本業だけではなく、学生のためにと頑張る佐藤さん。

 

学生さんたちから会費は1円もいただいていません。


ひとつ気になったのが、一番最初はどうやって学生を集めたのか?でしたが、それは本業にも繋がっていたそう。

 


今の会社にインターンとして来ていた学生に声をかけていったところから始まりした。その後友達が友達を呼んで…というかたちで広まっていきましたね」


そういった活動をしていくうちに、活動の幅も広がり自治体とも一緒に活動ができるようになったと言います。

 


「北海道の自治体が抱えている課題に取り組むというインターンを企画したりしました。公務員か民間で迷っていた学生には、とても良い経験になったようです」

 

佐藤さんは学生さんたちに「まわりとか大人が敷いたレールを歩くのではなく自分で決めてほしい」という強い想いを抱いています。それは、就カフェを4年続けてきたからこそ、その想いは強くなっていくようです。

 

「4年もやっていると、自分の意思ではなく誰かの言われた通りに進んでいった人が辛い目にあう場面をたくさん見てきましたから」

 

 
逆に4年もやっているからこその嬉しい出来事も最近あったそう。
 
「就カフェの一期生で結婚した子がいて、その子が今僕がいるウェディングの会社で式を挙げることになったんです。4年もやっているとそういうこともあるんだなぁと思いましたね」
 
 
 

佐藤さんがしっかり学生さんとも繋がり続けた賜物でもあるのでしょう。

こうして本業にも繋がることは、大きな財産でもあるはず。

 

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パラレルキャリアの生活


これらの他にも、東京の会社でも人事顧問をしているなどしていますが、お休みはしっかり取れているの?など、そのハードそうな生活面も気になってしまいますが、佐藤さんいわくしっかりお休みも月8日は取り、家にも平均的な時間には帰れているそう。

 

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東京の会社には月に7日くらい行そうですが、まさに都会とローカルの二拠点生活をしているからこその視点についても教えていただきました。


「札幌はコンパクトシティなので、車で1時間いけば海も山も湖も、とあるのに都会な部分もある。家賃も安いから住みやすくて、ランニングコストがかからないですね。東京は刺激的なまちだけど、住むのは厳しい」

 

佐藤さんはさらに言葉を続けます。

 

「東京行ったら重宝されること多々あるんですよね。地方の情報を教えてって言われることも多いんですよ」

 

さらにその、札幌も含めローカルと言われている人の働き方についてもこう述べます。

 

「暮らしはローカルで、仕事は全国からとってるっていうのが実現できればもっとみんなローカルに帰ってくるんじゃないかなとは思っています」

そういう働き方の人が増えたらいいなぁと、佐藤さんは願うばかり。

 

一体何者なんだと言わんばかりの佐藤さん。

 

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これからも多拠点で生活をしていくようですがそれに対しても「東京が偉くて地方が下と言われるような構図を覆したい」という想いも秘められているそう。

 

「ローカルの魅力を発信しつつ、自分がローカルに住みながら、全国から仕事をとってくる姿を多くの人に届けたいですね」そう明るく話す佐藤さんに続く人が、これからどんどん現れていきますように。

 

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佐藤さんのツイッターはこちら

佐藤 彰悟|かたわら (@sho_trip) | Twitter

【インタビュー記事35】選手という表舞台ではなく、裏方で活躍するひとりの青年

今回お話を聞かせてくれたのは、とあるサッカー青年「はまだだいき」さん。


サッカーに出会ったのは小学校4年生の時。

サッカーチームに入っている友人が多いこともあって自然と興味を抱き、いざ自分もと実際にプレーしてみると"褒められる"ということが嬉しかったそう。

気づけば18才まで続けていました。

 

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順風満帆なサッカー生活だったと思いきや、実は高校の後半では「辞めたい」と思うことも増えていきました。

 

運動部だからこその体育会系の環境に疲弊し、時に人間関係に疲れてきたことも…。

それもあって、選手としてではなく、マネージャーとしてこのサッカー部に携わりたいと頑張る場所を変えました。

 

「サッカーを辞めたい」という感情がはまださんの心の中に生まれたのは事実ですが、それでも「チームのために何かしたい」という強い想いは変わらずそこにありました。

その後実際にマネージャーとしての日々を過ごしてみると「もしや自分にはその素質があるのかも?」と思うようになったそう。


「裏方の仕事が好きだなって気づいたのはもちろん、頼られることも好きなんだと気づきました」

 

マネージャーになったこと。
それは決して「挫折」ではなく、新たな気付きの始まりでした。


選手からマネージャーへ

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その後、課外でサッカーチームが新たなに出来るということで声をかけてもらい所属。選手として、ではなく監督側、サポート側としての参加でした。

 

「そこでまたサッカーの面白さ、というか、監督の面白さに気づきました」

 

出来たばかりのサッカーチームは、その後少しずつメンバーも増えていきましたが、その旅にはまださんの心の中にモヤモヤが生まれてきました。

 

「1年くらい経った頃、メンバーも増えてきて選手全員をしっかり見るのが大変になってきた時にギャップを感じ始めたんです」

 

そのギャップとは?と聞いてみると…

 

「具体的には、正しいと言われている指導内容をやっても、選手が変化しないとか。起こっている現象は文字では理解していても、目の前で起きていることが違うとかってことですね」

 

なんとも言えない歯がゆい気持ちを抱えていたそんなある日出会ったのが、倉本さんという方です。


SNSでスポーツトレーナーをやっているフォロワーの方のブログを読んでいた時に、倉本さんという方が「起業」というカタチでサッカーのコーチ陣にコーチングする仕事をしますということで、早速セミナーを行うという情報をキャッチ。

 

はまださんはそのセミナーに行ってみることにしました。

 

ここで出会った言葉が「心理的安全性」。


チームのメンバー全員が気兼ねなく発言できる、自分を出せる、そんな場の状態や雰囲気を指す言葉です。


はまださん自身も、かつて相手に対して「こう言っていいのかな…」なんて不安を抱えていたことも多々あると言います。しかし、この「心理的安全性のある雰囲気」があればそれは拭えるのでは?とハッとさせられたそう。

 

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それはサッカーの指導の場でも活きることだということにも結びついたのです。

 

その後も積極的にそういったセミナーに参加。そして今ではセミナーを運営する団体のメンバーとしても活躍しています。

 

 

「今は講習会を運営する仕事だったり、メディアで情報を発信したり、アメリカでやっているメソッドを広める活動を積極的に行っています」

 

この団体の運営側に入った理由については「代表の人と話していたら、巻き込まれていったって感じ(笑)」と笑いますが、裏方仕事が向いているはまださんにとっては天職なのかもしれません。

 

誰もが安心、安全な表現の場をつくる

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そんな今のはまださんの夢は、子どもたちが安心、安全に自分を表現できる場所をつくること。


メインの軸として、サッカーのコーチ業を仕事としてやっていきたい、そんな想いも抱えています。

 

そして、そんなはまださんの想いに納得してくれる人を1,000人つくろうと現在その繋がりをつくるべく動いてもいます。

 

特にはまださんが所属している団体のコーチングのイベント等では2カ月に1回程度は開催されているので、そこで出会った人を計算していくと、1年で200人には会っているのだとか。


「コツコツ、じわじわ攻めていますよ(笑)」とはまださんは笑います。


はまださんの中で確固たるものとして存在している「サッカー」と「コーチ」。

 

一度は選手として離れかけたそのスポーツの魅力について聞いてみると、悩みながらも最初に出てきた言葉は「スタジアムの雰囲気」。

 

確かにスタジアムに入った時のあのなんとも言えない一体感…にわかサッカーファンの筆者もそのパワーに心が震るくらいですから。

 

続けてもうひとつ、こんなことも言っていました。
「スポーツ感情というか、普段出せない部分、喜怒哀楽の部分が特殊ですよね。また、クラブ自体があたたかい。チームでもあるし、家族みたいな感覚なところが好きですね」

 

そんな大好きなサッカーに携わっていくこと。

そして、これから「コーチ」として歩んでいきたいという想いの理由はこれに尽きます。

「やっぱり、裏方の仕事が好きなんですよね。まわりが楽しそうにしている姿をサポートしたいって思うんです」


話していても、なんとなく伝わってくるはまださんの包容力。

きっとその力を、これから多くの子どもたちに対しても伝わっていくことでしょう。

 

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はまださんのTwitterはこちら

はまだだいき/ SCI (@0wh1r03) | Twitter

【インタビュー記事34】元人見知りが、200人と会う挑戦

関西の大学に通う3年生、吹野しょうだいさん。
スラスラと話してくれるその姿からは、かつて人見知りに悩んでいた人とは思えない青年です。

そう、吹野さんはこれまで「人見知り」の自分に苦しめられてきたのでした。

 

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誰かが話しかけてくれるのを待っていた


中学校に入る前くらいから、人見知りかもしれないと思うようになったんです。そして、自分から話すのが怖いという気持ちでいっぱいでした」と当時を振り返るように、みんなが集まる場ではいつも端っこでぽつんとしていたそう。

 

自分からは決して話しかけには行けない…誰かが話しかけてくれたら良いのに…そんな日々を過ごしていました。

 


そんな自分が大嫌い。
だからこそ、変わりたかった…
しかし、なかなか行動できずにいたのです。

 



そんなある日強く「変わろう」と思えたきっかけに出会いました。

 


それは吹野さんが大学2年生の春のこと。

とある言葉に出会ったのです。

 

そのひとつが、ネットで出てきた

「人生は勇気次第で広がりも縮まりもする」

という言葉と、そしてyoutubeで見かけた本田圭佑さんの

「深い谷を経験した人ほど高い山に登れる」という言葉。



この言葉が、吹野さんの心に突き刺さりました。

 


全ては“自分の勇気次第”。
人見知りに悩まされていた苦しい過去から立ち上がらなくてはいけない


吹野さんはついに腰を上げるのです。

 

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コンビニで荒療治!?


まずは家の近くのコンビニで自分にある挑戦を課します。


それは、店員さんと「会話」をするということ。

 

人見知りの吹野さんにとってこれは簡単なことではありません。
緊張で震える手を隠すため、ポケットに手をつっこみ、顔にはマスクを装着。
こうして文字にしてみると怪しさ満点ですが、吹野さんの挑戦はここから始まったのです。

 


特に女性の店員さんがいる時は苦手。
しかしめげることなく、そのコンビニへと足を運んでいくうちに次第に店員さんたちとも仲良く話せるようになっていました。

 

こうして初めて通い続けたコンビニへは免疫が出来てしまったので次のコンビニへとステージを移します。



「家のまわりにコンビニがたくさんあったんですよ(笑)」と笑う吹野さん。
ちなみに3店舗目にしてようやくマスクを外して会話ができるようになったのだとか。


その後、とあるイベントの交流会に参加。
そこで気づいたことがあると言います。

自ら輪の中に入ってみたら、自分が思っていた以上にみんながフレンドリーに接してくれたことにビックリしました。今までの自分はもしかしたら、自意識過剰だったのかも…そんな気さえもしてきました」

 

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今までこうした集まりでは、いつも端っこに身を寄せていたはずなのに、コンビニでの特訓の成果もあってかこの時は初めて自ら声をかけて輪の中に入ることができたのです。

この経験から、吹野さんは「人の悩みや夢を知りたい」と思うようになったそう。

 

 


極度の人見知りだった自分の過去に、みんなが興味を持ってくれたのですが、この苦しみは、経験者にしか分からない。

 

「だからこそ、自分と同じように人見知りの子たちが抱いている悩みはもちろん、先輩後輩との距離感の悩みとかを聞いて、他の人にはない自分の視点でそれについて答えてあげたいんです」


そこで掲げたのが『会話革命』。

 

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「会話」というのは老若男女や、役職、性別など関係なく、誰もが平等にできる行動のひとつです。



そこで2019年2月2日から「200人の人と話す」を目標に掲げ行動を開始。

 

100人ではなく、200人にした理由は?と素朴な疑問をぶつけてみると…
「100人は達成できそうな気がしたんです」とニコリ。

取材したのは3月末。吹野さんはこの一カ月ではすでに40人程と話したと言い、そのスピード感に驚きです。

 


「人と話す時に、これだけは絶対に聞くという4つを決めているんです。『夢』『今していること』『これからしたいこと』『悩み』です。やっていることって人それぞれ違いますよね。だからこそ抱えている悩みも違う。夢や悩みはみんな違うからこそ、僕が誰よりも近くで応援してあげたいって気持ちがあります」と力強くその想いを語ってくれました。

 

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こうした流れから、友達の紹介で繋がったり、それこそ嬉しい出来事として、かつて人見知り時代を知る友人からこの取り組みを知って会おうと連絡をくれたこともあるのだとか。


「今後は勉強会とか、自分の夢とかを話せる場所をつくりたいと思っています!」

 

と話しますが、実はすでに学生のみならず社会人向けの講演会などでも講話もしている吹野さん。

 

2時間ほどの講演をするまでになるなんて、人見知りだった過去がまるで嘘のよう。

 

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吹野さんが伝えたいこととは?


「主に3つ挙げられます。『会話の大切さを伝えたい』『信頼から仕事をつくっていきたい』『一歩勇気が出ない人に手を差し伸べたい』そういった想いがあります」


吹野さんはいつも「挨拶、感謝、目線」を大切にして人と会話をしています。

 

極度の人見知りだった自分が嫌で、自らに挑戦を課し、ここまで一躍成長を遂げました。
だからこそ今度は、応援する側にもまわりたい、そういった強い想いを抱いている様子。

 


「僕の軸は『家族』なんです。家族と言っても血の繋がった人だけではなく、今まで出会ってきた人たちのことを指します」

 

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吹野さんが描く家族とは、素直になんでも話せる存在のこと。
だからこそ、そんな大切な人たちを、家族を、もっと大事にしていきたいと思っているとのこと。
そして、「会話」の重要性をこれからも伝えていきたい。

「一人はもう嫌いです。人と何かをするのが好きなんです」
一人でできないことでも、そばに誰かいたら世界は変わる、みんなと何かして楽しくできたらいいなと吹野さんは溢れんばかりのその愛で、多くの人にこれからも寄り添っていくことでしょう。

 

 

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吹野さんのTwitterはこちら

吹野しょうだい@♻️会話革命2.0♻️ 200人企画18%達成 (@kaiwa_kakumei20) | Twitter